76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自ら命を絶ちました。海軍司令官の大田実さん。残された子や孫は、故人への思いを抱えながらそれぞれの道で「平和」を目指しました。今回は三女が登場します。
2016年に公開されヒットした映画「この世界の片隅に」は、広島県呉市が舞台だ。その原作や新たなシーンを加えた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」には、主人公のすずが花見に行く場面がある。
モデルとなった公園の近くにかつて女学校があった。沖縄の海軍司令官だった大田実氏の5人の娘が通ったまなびやだ。
実氏の三女の板垣愛子さん(93)は1941年4月、緑豊かなポプラに胸を躍らせて入学した。だが、その年の12月に太平洋戦争が始まると、学校生活にも戦争の影が忍び寄った。
軍港だった呉には、日本有数の工場「呉海軍工廠(こうしょう)」があり、板垣さんもそこに動員されるようになった。配属された設計部門では「回天」の図面を担当。爆弾を積んだまま敵艦にぶつかる特攻兵器で「人間魚雷」とも言われる。
工場には若い士官が操縦テストのために来ることもあった。「乗ったら、生きて帰れる望みはない」。そんな思いを抱えながらも、彼らの姿をただ見つめるしかなかった。
自死した大田中将の三女、板垣愛子さんの戦後は、自宅にあった青酸カリを捨てることから始まりました。玉音放送に泣き崩れた母、そして貧困。悲しみに目を背けず、戦後も平和を祈り、伝え続けました。
キノコ雲 そして、次々運ばれてきた遺体
海軍の拠点の呉は幾度も空襲…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル